終日、草を刈る。
私は近頃、何か忘れ物をしたような気がしてしかたがない。いくら考えても思い出せない。気になってしかたがない。しかし、思い出せない・・・・と思い悩んでいたのである。今日、無心に草を刈っていて思い出したのである。
僕は、今まで「人生わずか50年・・・」と云う言葉を信じて生きてきた。50歳で人生終了!死ぬものと信じきっていたのである。したがって、自分の人生はそのように企画してきたつもりである。しかし、気がついてみるとその歳は、とうに過ぎてしまい、還暦も過ごした。予定外の人生である。僕は、変な癖があり、例えば、どこかの見知らぬ、未知のところへでも、あらかじめの下調べもせずに、取りあえず出かけてしまう。
後、そこで、気になることが目にとまると、少しずつ調べはじめ、兎も角も、自分の納得行くまで調べて、その物の概念を把握するのである。50歳までの人生は概ねこのようにして、生きてきたつもりである。しかし、今居るところは、まったくの、予定外、言ってみれば「オマケ」である。しかし、いくら「オマケ」と言っても、せっかくの「オマケ」であるから、何時お迎えが来ても悔いのないように有意義に過ごそうと思う。
その為には、「どうしたらよいのか」と云う下調べの参考書を取り揃えて、取りあえずのお勉強をせねばならない(備えあれば憂いなし)。かつまた、それにもとづく取り敢えずの自分自身への「企画書」作りをするのを忘れていたのである。思い出そうとしていたのは、そのことであった。思い出すまでに10年の歳月が過ぎてしまっが、実は、僕の母はとうとう、癌にもならず現在87歳である、しかも、健在なのである。
もし、僕に母の遺伝子がそのまま、そっくり継続されるようなことがあったなら、ずいぶん長生きしてしまって、なんか、大変なことになりはしまいかと、心配なのである。やんぬるかな!

「紅葉する老年」と云う言葉が好き。老年期、戸惑うことばかり。孫の名前がとっさに出てこない!愛用するお店の名前も失念!探し物で、部屋に入ったら、目的を失念!と、悩ましいこの頃なのであります。一方、巷では、「人生100歳時代」と言うフレーズを耳にします。「そんな事は学校では教わりませんでした」などと、愚痴めいたことを言っても仕方がない・・・・。
後26年でそこに到達してしまう!店で立ち働いていると、「よく頑張ってますねぇ!」と、人様に褒められる事もある。こういう時は、気分爽快、元気が出るのであります。これはそんな老輩の日々を綴るものです。
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2004年6月21日(月)台風接近のため蒸す
土曜日、親戚娘の結婚式、出席のため先週の土日を含め1週間休みをとる。式は軽井沢の教会、披露宴は軽井沢倶楽部と云う洒落た場所で和やかに行われた。二人の馴れ初めは酒にまつわる事から始まった由、参加せる大半の男女酒豪揃いであった。幸い土日とも好天に恵まれ、久しぶりに清涼なる空気を堪能す。
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2004年6月13日(日)曇後晴涼
桑の実おびただしく落下す。この頃は、もっぱら樹木の刈り込みに始終。仕上がり半ばであるが涼風が庭をなで心地よいことこのうえない。蛍をみながら鱧でも食べたい季節になった。6月より「タウンわたらせ」くらしの随筆欄の執筆を引き受け掲載始まる。テーマは得意分野の「隠遁生活のすすめ」となる。
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2004年6月6日(日)入梅す
ジュリア女「ピーカンナッツ入りケーキ」を作らんとして、ついては、その上にかけるソースにバーボンウヰスキーが必要となるという。
急いで地下の酒蔵におり、周囲の棚、見渡せぞ、あいにくと、バーボンなく、棚の片隅にスコッチの古びた箱を見るのみであった。
かれこれ、30年前、其の頃、中国、韓国との商売で香港、ソウルに足繁く通い、国内で高価であったウヰスキーを毎度のごとく運んでいた、為替は日々に円高傾向になり、輸入すればするほど確実に儲かり、不労所得的な収入の多い、したがって、金銭感覚がやや麻痺していた時代であった。その片割れの一本である。
21年ものビンテージとある。今に通算、約50年!古酒である。兎も角も、急ぎ厨房に持ち寄り、ジュリア女にこれしかないがどう?と渡す。薄く黴のようなものが覆いし封を切り、栓を抜くと、コルクはぼろぼろ、果たして中身は如何にと、グラスに注ぎ、ジュリア女それを飲む。「ウゥーム!」「ナイスフレーバね!」美味なスコッチであった。
50年の時を、無事に乗り切り健在であった。
芳醇な香りを有し、ケーキも稀なる逸品となる。
合衆国、元大統領レーガン氏死去を知る。彼、ベトナム戦争後の自信をなくせし米国に「国、強くあれと!」鼓舞した人物である、彼の時代、私は、輸入住宅を手掛け始めて、資材調達のためサンフランシスコによく出かけた。
為替は 230円台というドル高の時代であったが、建材は、日本のものと比較してもそのクオリティーが高いが故に、輸入する価値ありとして、輸入に踏み切った思い出がある。
今日は一人、僕の古きよき時代の思い出に心ゆくまで浸れた。