昨日の予報では雪の可能性があったが、小雨となり、アウトレットよりのお客様来。もりかすると、60日ぶりぐらいのお湿りである。暖炉に薪を入れ、頻りに燃やす。後、二週間もすると、少し春めいてくるようだ。年を取ると、寒いのは苦手になる也。

「紅葉する老年」と云う言葉が好き。老年期、戸惑うことばかり。孫の名前がとっさに出てこない!愛用するお店の名前も失念!探し物で、部屋に入ったら、目的を失念!と、悩ましいこの頃なのであります。一方、巷では、「人生100歳時代」と言うフレーズを耳にします。「そんな事は学校では教わりませんでした」などと、愚痴めいたことを言っても仕方がない・・・・。
後26年でそこに到達してしまう!店で立ち働いていると、「よく頑張ってますねぇ!」と、人様に褒められる事もある。こういう時は、気分爽快、元気が出るのであります。これはそんな老輩の日々を綴るものです。
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2025年1月26日(日)晴
朝より風無く暖。昼着たりし人達は陽射しを浴び、恵まれたひと時を過ごす。近隣の街より同輩と思しき婦人たちも暖炉の席で午後のお茶を愉しんで居る
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料理人 相場耀子伝
昭和19年、帝国海軍技官高橋米吉、初夫妻三女にて京都府生。父米吉海軍在航空機設計に携るも漢籍洋楽にしたしむ。初、真に大正女子にして文芸に通じる。而して、耀子、自ずからその素養得。即ち理性感性、自ずから正確、豊かなり。長じて家政学を学び、恋われて勝夫に嫁す。内に倹素を忍んで外に声望を張らんとする夫の生活は、耀子の内助を持つて、始めて保続された。夫、奔放にて我侭。耀子よく耐え二児を育む。夫、美味食を専ら求め屡海外を訪ね稀なる美味を探求。帰りてその詳細を家人に詳らかに報告、再現を求む。耀子、よくその渇望に応え研究するも屡再現侭成らず。育成り、夫に伴い食の快楽探求その多様なるを学ぶ。範囲、概ね北半球に限るも、稀に南洋もその域とする。成りてその体験的具現を実現、その道に邁進す。耀子幼少より花鳥を愛し今日に至るなり。これ「カフェブロッサム」ゆわれなり。今日に至るも調理研究怠り無し。その風評、優。(写真米国アラバマ州にて)2015年1月去。享年71歳。
Yoko Aiba was born in Kyoto in 1944,as a second child of Hatsu and Yonekiti Takahashi who was a naval aeroplane technical engineer. Her mother,Hatsu was a mordan woman and enjoyed reading. Her father,Yonekichi liked to study Chinese literature and listen to classic musics. Yoko took over a great sensitivity from her parents. She was majoring in domestic science in University. Afer having graduated from school, she met Katsuo and married him. They were blessed with two great sons. Katsuo enjoyed a variety of food. He traveled all over the world to look for great tastes, finally it resulted in openning up the restaurant cafe, that they wanted to share their taste with others. Yoko was very fond of flowers, so this is why she named the restaurant “Cafe Blossom”.She gone on 2015.
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ターシャ・テューダー訪問記 その1
事の始まり
西銀座某書店で細君は『今がいちばんいい時よ』と題する、老婦人の写真が表紙に目立った本を手に持って示した。
「それ、グランマーモーゼスの本?」と僕が尋ねると『ターシャテューダー!』と答えが返ってくる。
家内曰く、10年ほど前から時々耳にする名前で自然に恵まれたバーモントの片田舎でガーディニングを中心軸に自分の世界を作り、気ままな生活をしている90歳になる婦人であると言う。家内はそのライフスタイルに共鳴すると言う。後日、僕もその本に目を通してみると、ターシャとはなかなか面白そうな生活を展開している人物、しかも、僕達の生活そのもののような気がしてならない。その彼女の生活をこの目で見てみたいと思うのは期を待たないものだ。Webで調べると、彼女の庭を公開する時期があり、9月10日(土)がその日であることを知る。まず電話を入れてみる。先方からは参加チケットはSOLD OUT!だと答えが返ってきた。
「日本から出掛けて参加したいのですが・・・・・」と熱意を伝えると「OK,No problem!」、参加申込書をすぐ郵送するから住所氏名参加人数、カード番号を記して返送するようにと指示あり訪問日は決定する。2005年9月4日(日)
ターシャのガーデンツアー参加は9月10日午後と、決まった。航空券、ハーツレンタカーの予約手配と旅行の準備を整え、ニュヨークまで飛ぶ。予定日の10日までは、周辺の興味のあるところを回って時間調整をする。
夕刻JFK通関をでて、マンハッタンに向かい、グランドゼロの近くにある中華飯店にて夕飯を済ませ、トンネルをくぐり、ニュージャジーに渡り、夜も遅くなったので、途中で宿泊。
まずは、アーミッシュのパラダイスに向かったのでありました。9月5日(月) アーミッシュの人達がすんでいる「パラダイス」を見学。周辺は平らな農場ばかりで山らしきものはなく、空が限りなく広く、気持ちがよい。しかし、現役時代に訪れた時より
幾分か、街は発展して賑わっている。この地域に入って行くと、いきなり、バーギーと称する馬車にであうことになる。
この町での宿泊は、アーミッシュの人達が生活しているまさにその中心部であった。家人は地味なエプロンを買った。
アーミッシュの人達は出来るだけ現代の便利な手段に頼らず、宗教を中心にすえて、伝統的生活を続けているのが非常に興味のあるところです。
パラダイス周辺をドライブしていると、このようなアーミッシュの子供たちが野球をしている光景にもめぐり合うことができる。古きよき時代のイメージが思い出されるのです。
湿度40%、程よい日差し、どこまでもひろがる空、のどかな風景、平生は、極東の盆地にて時を過ごす私にとっては、限りなく魅力的な風景です。視界に不細工なものが皆無なのも気持ちがよい。
アーミッシュの家族ではこのように洗濯物がかならずといってよいほどに、ロープに掛けて干されている。堅実な生活が伝わってくるような風景ではありませんか!
これがバギー。あちこちで見かけるのですが、カメラで撮ろうとすると意外と速度が速いので機会を逃してしまう。この写真は、直線コースの向こうから向かってくるのを察知して、用意万端準備、ようやくゲット出来ました。
このあたりが、パラダイスの中心、この画像の横に雑貨屋さんがあり、そこで、ランプのホヤを買った。ついでに、似たようなおじさんを入れて記念写真。
ナビゲーターの愛妻は時間があると、しょっちゅう地図を調べています。このあとは、田園風景を後にして、大都会フィラデルフィァの旧市街の中心にあるという「アメリカ最古のレストラン」にランチを食べる為に出発しました(この地より約3時間のドライブ)。
これは、アメリカ最古のレストラン「City Tavern」のホールでの記念写真。建物はレンガを積んだもの。様式はコロニアルスタイル、内装もその当時の風情を再現、立ち働く人たちのコスチュームも17世紀のスタイル。使用されている家具もしっかり出来ていて、まるで我が家に居るような錯覚におちいります(因みに僕は28年前、自宅をこんなスタイルで建てて家具もその当時の様式のものを使っています)。
裏庭では自家製エール(ビール)lが楽しめる。僕もちょうどのどが乾いたところであったので、いただきました。いやーぁー。実においしかった!ややビターな感じが出ていてとてもよかった。最近日本のラガービールは甘口でマイルド過ぎて、物足りないのですが、皆さんそうおもいませんか?余談はさておき、いよいよグレートなランチをいただきました。
これがランチでした。ポークの塩漬けを料理したもの(ドイッチェラント風)。塩抜きは程よく、食べ応えのある逸品でした。このテーブルウエアーが渋いではありませんか!パンなどもピューター的容器に盛られていて・・・。 満腹の後、店を出て、少しほろ酔い加減で旧市街を散策後、すぐそばを走るフリーウエー95に乗ってニューイングランドに向けて北上を開始しました。
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山林に自由を存す
タウンわたらせ第105号6月26日(土)掲載
飛駒は、見回す限り山の囲まれた、程よき広さの盆地にて、周辺の他の地に生じた集 落より明るい。カフェは正にその盆地、中央に存する。広き敷地の周囲、木々育ちて 林をなし涼風は訪れる人を癒す。また、この地、すり鉢の底ゆえに、気功家はオゾン 効果「いやしろち効果」に優れていると言う。
飛駒川は盆地の中央を南北にはしる。 黒沢、寺沢より水を集め村落の半ばで覆水となり出原に湧きだすのである。「日本百 名水」の一つとして知られる。飛駒の水はこの名水の源、甘露である。東京、埼玉、 関東各周辺よりカフェを訪れし人まずこの水を飲み、一様に「美味しい!」と驚く。
コーヒーは味の切れがよくなる。最近では盆地の高台にモノ作りの新天地を求めて集 まりくる人が増えた。飛駒の自然が織なす「やわらかさ」ゆえかと思う。をである。
店を開くにあたりパソコン習得に挑戦した。ここは、極東奥地に存する草深い田舎で ある。ホームページで店の魅力を掲載しなければ訪れる人はない。パソコンの入力に は貿易の仕事で長年英文タイプを使用していた事が役に立った。しかし、パソコンの 概念、Webページの作成、画像処理等を習得するのに悪戦苦闘をした。パソコンやソ フトに付属するマニアルを読んでもさっぱりわからない。読むほどに謎はふかまるば かりであった。
日本語で記述してあるが、その意味するところが理解できない。何度 も挫折を繰り返しながらも、書店で、理解可能な解説書を求め、片っ端から読んで、 試して、この頃ではようやく「パソコン自由自在」となった。
ザ・グレートスモー キー・マウンテン山麓に散在する、ヒルビリーなヴィレッジの雰囲気を色濃く漂わせ る、この店を慕い、ブルーグラスやカントリーミュージックを演奏する人達も集まる ようになり、春秋の演奏会は、私の楽しみの一つとなり、草庵も賑わいを得てきた。 料理は、「広き世界より、入手可能な食材の持ち味を生かせる料理を、我等独自のス タイルで確立したい!」とかなり大胆なことを考えるようになった。事さような次第 で隠遁生活、カフェレストラン経営と、二束のわらじを履き、老犬、愛妻よう子と極 東辺地の狭き世界に留まり、脳裏から次第に忘れ行く文明世界の中心「パリの街」を 恋しく思う、今日この頃となる。 -
快楽的隠遁
タウンわたらせ第104号6月19日(土)掲載
車中、香水の匂いがただよう。目を助手席に流すと、薄い布からはみ出しそうな白い 乳が目にとびこむ。下は臍あらわなる腹部が露出(目が潰れてしまいそう)。
当店 シェフ、ジュリア女の出勤風景。いや、確かに、ナイスバディーなのだが、なにしろ 時節、早春の頃であった。「風邪を引くのでは!」とひたすら心配。(しかしアトラ クティブではある!)「キミサムクハナイノカ?」「ワタシハワカイカラダイジョウ ブヨ」「ボクハキミヲミテイルトヨケイサムクナル!」「トシヲトルトミンナソウデ スネ」。この頃、ひとしお布の表面積が小さくなったような気がする。
先日は体の後 は網であった。私は思わず「マエトウシロヲイレカエタラワタシハウレシイ!」 「ダーメヨ、ソレハせくはらヨ」と注意をうけた。彼女は美女、ハイ・アイキューの 持ち主、料理が得意で、しかも手早い。店で購読せしファインクッキングをザット見 て、材料を自分で調達し、すばやく試食品を創る。ジュリア女と家人、私をまじえそ の料理を前に、グラスにドライなワインをそそぎ一時の品評談義に入る。
じつは、彼 女、この頃、遭遇せし隠遁者の細君。同輩の隠者は足利在、日本生。若くして渡米、 南部のハーバードと云われるノースカロライナの名門校ディユーク大学を卒業、以来 三十年世界を舞台に「ヘッドハンティング」「投資」を主たるビジネスとして蓄財、 一人暮しの母親の介護の為、久方ぶりに故郷、日本の土を踏み、日本人の変わりよう に腰を抜かさんばかりに驚いたと言う「今様浦島太郎」のごとき人物。
会うたびに 「古きよき日本は何処へいってしまったのか相場さん?僕は哀しい!」とワインをす すり、嘆くことしきりなのである。二百年の旧家に住み、時にニューヨーク、カル フォニアに出掛け、平生、古庵にてパソコンを駆使、インタナショナルなビジネスに はげみ、金を集める。
葉巻、古庵、世間を斜に見る視点、極東のこの地を世界の田舎 と見立て、隠者生活に、どっぷりとつかっているのである。コイーバ、ワイン、極東 の端所の草庵と云うキーワードゆえに私と波長が合う。細君ジュリア女は異国の地に て、このカフェレストランを気に入り加勢する事になる。 -
隠遁生活の実践
タウンわたらせ第103号6月12日(土)掲載
作法の基本として、隠遁生活の必須アイテムは草庵、田舎、かすみ。
バックボーン に、隠者の屈折した思想的経緯が必要であり、それは、隠者の周辺にある種の影を漂 わせ、独特なる雰囲気を、醸し出すのである。ワインで云えば「熟成」と云う高度な 技術で、その付加価値を高める。ありていに申せば「生への情熱をうちに深く秘め、 田園生活をライフスタイルの理想とし世間を逃れ、人里はなれた田舎に草庵を設け, 精神の充足に努め、仏の道を探求しつつ、おのれの世界を構築し、花鳥風月を心の慰 めとする」と云うのが伝統的な手順である。
私は、幸い梅田付近、飛駒と言うところ に二十余年のログハウスを所有、屋根は板葺き、それなりの趣が出てきた。「霞」は とりあえず、葉巻で代用することにした。「かたち」としてはこれでなんとか格好が つく。新規な事をするには、まず「かたち」から入るのが一番の早道である。要はそ のコンテンツであった。何か体裁のよい屈折せし思想であるが、ノー天気な私には、 人に誇れるような思想や求道精神など皆無なのである。
しかし、このあたりのコンセ プトが厳然と構築されないと隠遁生活も格好がつかない。本物志向の私としては、こ の部分のストーリー性に執着するのである。悩んだ据え、「志なかばで経済世界の激 動の波に弾き飛ばされ、おのれの志す思想展開を断念、いさぎよく後継者に事後を託 し隠遁す(ありていに言えば単に経営能力が不足していて事業の経営に自信をなくし ただけであるが)」と云うことで何となく自分で得心した。
一方、隠遁生活も,多少 の変化、つまりメリハリがなければ、永く続かないわけで、そこで、一度,トライし てみたかったカフェレストランの運営に着手することになった。例えば、或る人が街 を 訪れたとして、一時を、都会の喧騒より離れて、閑静な庵にて憩おうとする、そのよ うな 人が食事を兼ねて訪れたくなるような「場」 を創り出そうと考えたのである。
久しく手を入れぬ2000坪の敷地は木々、雑草も自由 勝手に伸び、草庵も荒廃していた。そこから晴耕雨読的に手入れを開始したのであ る。今振り返ると、ビールを飲み、ほろ酔い加減で構想を練りつつ、葉巻を吸う時間 のほうが多かったような気もするが、兎も角も、季節をおうごとに体裁も徐々に整っ ていった。 -
隠遁生活のすすめ
タウンわたらせ第102号6月5日(土)掲載
初孫が誕生、男子であるとの報を得,喜ぶと同時に、自分の心中の緊張する糸が大き な音を立てて「ブッ!」と切れた音を聞いた。個人として生命の継承という人生にお ける重大事をつつがなく全うし,天よりおせつかった役目はこれですべて成し遂げた 安堵感に満たされた。人間なら誰でも経験する境地ではないだろうか。
今より10年前の話でありました。その頃、私は輸入住宅の会社を経営していた。
当時は、時代がデフレに振れて激変する経済の真っ只中、社業の舵取りに四苦八苦の毎日であった。
私は昭和18年生、世間というものに出て以来、そんなに努力せずとも夜の明けるご とに売上も仕事量も増える時代を生きてきた。
それがイキナリ縮小の時代に突入した のであるが、頭では理解していても若いころより体で覚えたインフレ感覚はなかなか 消えるものではない。放漫経営でもあった。
そんな時、息子がカナダでの勉学を無事 終了し入社してきた。詳細は兎も角も、孫のお守にかまかけて社業は大分おろそかに なっていた。それでなくとも、俗事が疎ましく感ずるようになり、或る日、身代を借 金諸共、息子夫婦に投げ渡して、家内、愛犬をともない、かねてより憧れの「隠遁生 活をする!」と宣言した。
嫁は「お父さん!あたら二十歳半ばの青年にいきなりご自 分でしでかした借金と社業をまかせるとは、いくらなんでも虫が良すぎるのではあり ませんか?」「しかし、まぁ、めったにないチャンスだから、存分にやってみよう !」と息子。「兎も角も、よしなに、よしなに!」と私。
身内、周囲の者は、誰某も何某もあれだけ頑張ってやっているではないか!と叱咤激 励するのであるが、人間50を過ぎたら生き方は気分の問題となる。個人差が出て当 然であると説得した。私は若い頃より方丈記的生活、荷風の隠遁生活に憧れていた。
世の中をやや斜に見ながら自分の好きな世界に耽溺する生き方は魅力的である。自分 にはそのときのシュチュエーションからしてとにかく世を捨てて「隠棲生活」と云う ライフスタイルが今後の生き方としては適切であると確信していた。今をおいては チャンスはない!と、そのとき思ったのである。