今朝、古いドアのガラスのはめてある枠を補修する。昨日、英国シェフィールド製のみで木製の部品を拵えた。久しぶりのウッドワーキングであった。木工をやるのに、凝り性の私は、イギリスののみを買いにロンドンまで出掛けた事があった。道具を抱え帰国して家に戻り、ヨーコさんに見せると、何にも云わず「よ~くやるょ・・・・」と謂うような、侮蔑的な眼つきをされたことを今思い出した。スイスで鉋を買って来た時も同じようであった。しかし、木工というものは創作的でかつまた実用的な趣味であるから、今日も普及するばかりである。実際に、鋸と、鉋とのみを用いて、板で四角な箱を作った。出来具合は、脇に置いといて、その創作的なエネルギーが、道具の切れ味、数年かけての文献的な研究、たゆまぬ努力(主に道具を集める事)により、その成果が、具体的に結実した、目前の箱から発するオーラに目がくらみ、私は「その気になれば何でもできる」という、錯覚に陥ってしまう。以後、燃え尽き症候群のような心境になって、箱を一個作っただけであったが(今考えると、ヨーコさんの心境も理解できる)その趣味から離れてしまった。ひと山あった道具は、しまい忘れていた。随分前の話である。かれこれ20年も前の事だ・・・・。

「紅葉する老年」と云う言葉が好き。老年期、戸惑うことばかり。孫の名前がとっさに出てこない!愛用するお店の名前も失念!探し物で、部屋に入ったら、目的を失念!と、悩ましいこの頃なのであります。一方、巷では、「人生100歳時代」と言うフレーズを耳にします。「そんな事は学校では教わりませんでした」などと、愚痴めいたことを言っても仕方がない・・・・。
後26年でそこに到達してしまう!店で立ち働いていると、「よく頑張ってますねぇ!」と、人様に褒められる事もある。こういう時は、気分爽快、元気が出るのであります。これはそんな老輩の日々を綴るものです。