今週の月曜日は好天に誘われ、午前中、杖を持ち、付近の織姫山まで散歩をした。陽だまりを歩くことは大変楽しい。1時間ほどの散歩であったが、これは、いささか、冒険のきらいがあったことを、夕方になり知った。夕飯前より、胃腸に不快を感じ、夕飯も食べずに寝込んでしまった。その夜は、胃が苦しく一睡もせず、翌朝、主治医に駆け込んで、診断をあおぐと、胃腸関係の風邪であろうという事で、点滴をしてもらい、終日安静を保つ。
6週間の入院中、僕は「高齢者」のカテゴリーに入り、思いのほかの、体力減退が生じたことをしみじみと思うのです。
ところで、先週の朝、ラジオの読書案内で、「ミレニアム」という小説が紹介された。著者はスウェーデン人、現在、ヨーロッパでブレークしていると言う。僕は、書籍紹介の中でその「スウェーデン作家」と言うところに耳をそばだて、四十年前に愛読した「マルティンベック・シリーズ」の警察小説を思い出した。シリーズは10冊の推理小説仕立ての刑事物で、当時のスウェーデン社会を描くという内容のもので、僕としては、地球の反対側にある、超先進的な福祉国家でのライフスタイルや、その社会の病巣も浮かび上がってくるところが、娯楽読み物以上に手ごたえのある小説であったとの記憶がある。
つまり、その当時、日本で暮らす、僕等が向うべき方向の最先端に到達している社会をうかがい知る物語として読んでいたのだと思う。
紹介された「ミレニアム」であるが、早速、書店にて買い求め、読んでみた。
物語は1966年にスエーデン中部のある地方都市で発生した一人の少女失踪事件を解明する為に二人の人物を登場させ、東洋ではなじみの薄い、近代スエーデン社会の発祥おも俯瞰しながら、今日の時制で物語りは展開する。僕が興味深かつたのは、戦前のスウェーデン社会の一部にはナチズムにも共鳴する人々もいたと云う事だ。
余談でありますがーーー偶然にも1966年、僕は無銭旅行で、この物語の舞台付近に立ち寄った経緯がある。日本は「東京オリンピック」の翌年で、ラーメン一杯は35円であた。ところが、当地に来て、オープンサンドを一片買い求めたところ、100円もして、とめどないカルチャーショックを受け、世界の深遠なる事を体感した記憶がある。
もう一つのショックは、スエーデンの街を散策して、ふと公園に立ち寄り、暫くして、再び街に出てみると、先ほどまで人で溢れていた街より人が消えていたのである。時刻は夕方の5時頃でであったと思う。その頃の日本では沢山の雑多な商店は夜遅くまで営業していて、何処にでも人の気配があるのが当たり前の時代であった。旅行した季節は夏であったから、夜中になっても明るい白夜の季節。立派な道路に驚くほど少ない交通量、とめどない寂寥感を得た思い出があるーーーー。
ところで、この「ミレニアム」はこんな予備知識や思い出がなくても、最初のページから、物語にぐいと引き込まれ、十分楽しめる小説だと思う。兎も角も、読み応えのあるフィクションであった。
話は変わりますが、皆さんは「ロッキード事件」と云う物をご存知ですか。昔アメリカの航空機会社が日本での営業活動の一環として、日本政府高官に積極的な営業活動を展開した結果、つまりは、買収事件が生じその事が大々的に報道されたのでありました。その頃は、その報道も半信半疑なところもありましたが、つい最近、日本の某建設会社の裏金資金がニュースで取り上げられ、その資金は、主として後進諸国での某社の受注活動を円滑にする為の営業経費であると報道されてた。
「ロッキード事件」は日本のメディアで連日報道されていたが、この建設会社の資金に関してはその後の追跡報道は聞かない。このことは、例えば浸透膜の内と外の事象のごとく世の中がはっきりと見えてくるような気がして興味がわき非常に勉強になりました。
さて、高齢者の仲間入りをして感じることは、旅行に喩えるならば、若い頃は、その訪ねたところが気に入れば気軽に再訪できるのであるが、現在は、そんな余裕はなくなったような、奇妙な切迫感が生じていることで、言い換えるなら、その日、その時を悔いの無いように、潔く過ごそうという気分になったことだ。
今年も残り少なくなってきたが、日々の安寧を願うばかりである・・・・。

「紅葉する老年」と云う言葉が好き。老年期、戸惑うことばかり。孫の名前がとっさに出てこない!愛用するお店の名前も失念!探し物で、部屋に入ったら、目的を失念!と、悩ましいこの頃なのであります。一方、巷では、「人生100歳時代」と言うフレーズを耳にします。「そんな事は学校では教わりませんでした」などと、愚痴めいたことを言っても仕方がない・・・・。
後26年でそこに到達してしまう!店で立ち働いていると、「よく頑張ってますねぇ!」と、人様に褒められる事もある。こういう時は、気分爽快、元気が出るのであります。これはそんな老輩の日々を綴るものです。
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2008年12月7日(日)晴、風有
6週間に及ぶ「ベット上安静」の期間が過ぎて、体のすべての筋肉が衰えてしまったが、無罪放免と云う様な風に退院して、自宅で日常に戻る訓練をしている。
留守中、ヨーコさんの手足となって、ブロッサムを盛り立ててくれた、皆さん、ご心配していただいた皆さん、また、病院で親切にして頂いた皆様には心より感謝申し上げる次第です。初秋の晴天に恵まれた日に入院、退院した時は、季節はすっかり冬になっていた。
病院の食事は、さっぱりした味付けのもので、僕の口にも合い、気になっていたコレステロールの件も解決、退院時、体重は、500グラム減っていた。療養中の伴侶として、持ち込んだ本は、安岡章太郎著「僕の昭和史」と1929年の大恐慌を描いた「アメリカの死んだ日」ー1979年、TBSブリタニカ・常盤新平訳ーであった。後者は、僕がまだ若い頃(つまり、大昔という事です)に一度読んだ物が書棚の隅に積んであったので持ち込んだもの。僕の青年時代には「大恐慌」、「関東大震災」、「引揚者」も日常会話の中にあった。
厚い本だが、読み始めているうちに、期せずして、病院のテレビでニューヨークのウォール街に端を発する、世界同時株安が報じられ、100年に一度の経済的事例と云う様な報道もなされている。本を読んでいる僕は、タイムカプセルに乗って、29年に舞い戻ったような、奇妙な臨場感を味わった。しかし、何といっても、一番興味があったのは、大統領選挙である。
アメリカの大統領選挙といえば、まさに、我等、本家の当主交代を見守るごとくの関心が集まるものだ。しかも、新しい選択をした。極東に住む我等にとっては、宗主国であるし、我が方の臨時政権も安定感が今ひとつ欠ける。
目先の目標を失った集団のごとく振舞う極東の住民には、若い、元気な大統領が山積する難題を次々と解決する姿を見せてもらいたい。そうゆう、見本がないと、我が方の連中はさっぱり、要領を得ない(もともと、こうゆう事に得意でないのかもしれない)。期待する所、大である。
師走になってしまいましたが、来週あたりより、店の方になんとなく顔が出せるように心がけて行くつもりです。その節は、どうぞ、宜しく!