複雑で多様化する現代。店内は、アンティークな家具、庭には癒し度の高い空間(パワースポット)が広がっているお店です。冬は暖炉に癒されます

カフェブロッサム繫昌記

最近、ヒルズ付近の書店に立ち寄り、本を探していたら、サンフランシスコのフォトグラファーに「写真をとらせてもらえないか?」と
尋ねられた。手に持っているのは、M型ライカではないか!!「ノープロブレム!」と答えて、撮って貰いました。

ヨーコさんに見せたら、「これで、カッチャンの葬式写真が出来たと!」喜んだのでありました。

「紅葉する老年」と云う言葉が好き。老年期、戸惑うことばかり。孫の名前がとっさに出てこない!愛用するお店の名前も失念!探し物で、部屋に入ったら、目的を失念!と、悩ましいこの頃なのであります。一方、巷では、「人生100歳時代」と言うフレーズを耳にします。「そんな事は学校では教わりませんでした」などと、愚痴めいたことを言っても仕方がない・・・・。

後26年でそこに到達してしまう!店で立ち働いていると、「よく頑張ってますねぇ!」と、人様に褒められる事もある。こういう時は、気分爽快、元気が出るのであります。これはそんな老輩の日々を綴るものです。

  • 店に到着後、薪割をして、今週の準備をする。昼に至り、来客現れず!最近、韓国大統領のスキャンダラスな事件の展開が報道される。その事が誘因で、今の大統領のお父さんが政権にあった時代に、仕事でしばしばソウルに出掛けていた事を思い出した。その当時は、戒厳令などという剣呑な制度があって、夜の12時以降は外出が出来ないのだ。仕事が済んで、カラオケバーの韓日友好で歌も話も盛り上がっていると、門限を過ぎてしまうこともあり、酔い醒ましに、ソウルの街を歩いていて、時々捕まって、油を絞られた事もある。あれは、同じ頃であろうか・・・。中国に出掛けて、日本に帰ってくるたびに、田中元首相のロッキード事件の解明が進み、フィクサーや小佐野さん、丸紅の社長という風に色々な人が国会で聴取されている。前後の経緯が不明だが、其の頃立花隆さんが文芸春秋で「田中角栄~その金脈と人脈」を発表、社会的に大いに取り上げられた。老輩がソウルによく通っていた頃は、慰安婦問題など取り上げられる事もなく、しかし、8月15日の日本の敗戦記念にソウルに入ると、そこでは植民地時代の日本から解放された祝日として盛り上がっているので、自分の中で違和感を感じつつも、「世の中とはこういうものだ!」とモノを見る目が広がった思いがあった。一度だけヨーコさんを案内して、二人で観光気分でソウルの街を歩いたことがある。普段は先方の商社の人に案内されているので、地図が無案内でもその人が必要な場所に案内する。しかし、ヨーコさんと歩いた時はプライベートだから、街を歩いていても、知らない通りにでると、どちらに向かえばよりか判らなくなり、しばしば、立ち止まり、手元の地図を観たり、周辺をよく観察したりしていると、私たちより大分年かさの、そう、父親と同年齢の紳士が、流ちょうな日本語で「なにか、お困りですか!どちらにいらっしゃりたいのですか!」と慇懃に話しかけてくる。それも、街路だけではなく、レストランや、食堂に入り、言葉が通じないで困っていると、すかさず、やはり、その場にいる紳士が慇懃に「どんなモノを召し上がりたいのですか、私でよけれがお役にたちましょうか?」と声を掛けてくる。ことほど左様に、今で言えば東京五輪の「おもてなし」状態でそれが印象深かった。あの時代の日本周辺の国々で起きたニュースをウイキペディアで調べているうちに、3時を過ぎてしまい帰宅の途に就く。久しぶりに古き良き時代を思い出した次第。ところで、解放と云えば日本の憲法はアメリカが押し付けたモノには違いないが、その陰には名もなき日本人兵士が命を差し出して、平和国家日本を造ったという思いがしてならない。少なくても、老輩はその恩恵に浴している。円高の恩恵も受けた。それは、戦争という集団行為が戦後生産行為にうまく転換され、我々は今日の豊かさを得ることが出たのだと思う。その転換点となった8月15日はある意味で日本人が解放された日であると思うようになった。それは、イタリアの戦中、戦後史を見てそう思ったのだ・・・。アメリカから憲法を給され、我々は解放された!私は、その事に感謝している。

  • 陽だまりを求めて、犬連れの人達来。ステーキでもてなす。帰路、空気が大分冷えて来たので、モーガンで使用していた、革のヘルメットを被り足利に向かう。今日は鮟鱇が手に入ったので、bouillabaisse風味のアンコウ鍋をこしらえる。週末の予約も入り始める。有り難き哉。

  • 今朝は暖。出掛けは、向かい風にあったが、生ぬるい風であった。飛駒の盆地に入ると穏やかな日和で、やはり、陽だまりの里であると思う。人、三々五々来。夕飯は、下仁田ネギがあるので、すき焼きにする。まず、割り下を拵え、すき焼き鍋に、ネギを敷いて焼き、牛肉も鍋でいため、しらたき、焼き豆腐などをを並べ、割り下を注ぎ、沸々と煮えて来たところを、ふうふうと吹きながら、清酒をともにして、つついていると、永井荷風の断腸亭日乗を思い出した。あの人も、こうやって独りしみじみと晩夕を過ごしたことがあるに違いないと思う。そう思うと親近感もわいてくるというものだ!久しぶりに断腸亭日乗を読みかえしてみようと思う次第。

  • 朝、出がけは7度であった。早朝より防寒対策をして自転車で出かける。東に雲の塊が、太陽を遮り冬の如くである。しかし、名草にかかるころから、太陽が雲の上に出て来て、朝の日差しを浴びて、自転車をこぐ老輩の気分も軽くなる。今日は「ニッサン・オナーズ・マガジン」の撮影があった。風もなく穏やかな日和でお客さんも三々五々人来。帰宅後、夕方の街を歩いたが、陽気が、桜の咲く頃のように思える一時であった。

  • 朝より晴。午前中歯科訪。先日来読んでいる、林真理子さんの「下流の宴」という小説がとてつもなく面白いので、別の小説が図書館にないものかと出掛け、別の小説を借りてくる。この、林真理子さんは非常に達者な小説家であると思う次第。午後、シネマアプリランキング最上位になっている「ブリジット・ジョーンズの日記」を観に太田イオンに出掛け、観る。これは、アラフォー世代の婦人方の為の映画であった。老輩にはチョット場違いな作品であるが、久しぶりにイギリス英語を聞けて面白かった。夕、鮟鱇のブイヤベースを拵え飯。

  • 朝より晴。昨夜、久しぶりにシネマアプリで最近のランキングをチェックしてみると、高得点を得ている「手紙は憶えている」という作品が目に留まり、これは、90歳の老人が主役。最近老人が主役の映画は、極力観るようにしている。内容は、アウシュビッツやナチス関連。だから、早朝より映画館に出掛ける。映画の最初にアウシュビッツ収容所で生き残った二人の老人が出てくる。一人は車椅子、一人は認知症に侵されているが、しかし、体力は十分にある。車椅子の老人がかつての、アウシュビッツ収容所で家族が殺された恨みをはらそうと、当時の残虐無情な所長の戦後の行方を調べ、今は、アメリカの加州レイクタホ付近に在するという事を突き止める。同じ体験をした認知症の主人公の老人に、十分な旅費と行動計画を詳細に記した手紙を渡す。渡された老人は、拳銃を携え、何を為そうとしているのが解らなくなると、この手紙を読んで、行動を立ち直すという、どうも、覚束ない、復讐の旅に出るというところから物語は始まる。結末もどんでん返しがあり、面白く観られた。夕食はパエリャを拵える。

  • 朝のラジオで、今日の陽気は12月初旬のお天気だと謂う。防寒に注意をしながら、自転車で飛駒に向かう。予約を戴いた人達来。チーズフォンヂュで対応する。「こんな美味しいフォンヂュは初めてだ!」と言われる。お世辞にしてもうれしい限り。あれもこれも、ヨーコさんの努力の結果であるとしみじみと思う次第。

  • 午前中は曇。今日は予約も入っていないので、休息する事にした。朝はどんよりと曇り、寒い。物入れから、ケロシンストーブを出して火を点けてみる。朝食後、炬燵に入り読書。先日来読んでいる「古書の来歴」がいよいよ面白くなってきて読み続けている。古書と言っても、ユダヤ教徒のハガダーと言う旧約聖書に関係するモノだから、読み始めは、読了できるかどうかが疑問で、面白くなければ途中で止めてしまおうと思った。物語にはサラエボやウイーンと言うような、昔行ったことのある街や、国が出て来るから、物語に引き込まれて行く。背景にはユダヤ教徒にまつわる物語で満ちている。大分以前、ヨーコさんが大病を患い、それが回復した頃、一緒にヨーコさんの好きな音楽の街、ウイーンに出掛けた事がある。老輩はその頃、クラシックカメラに夢中になっていたから、私にとってはカメラのメッカであった。その折、車でユーゴスラビアをドライブしてヴェネチア迄出掛けた。旧ユーゴスラヴィアの港町で一泊して、見知らぬ街の食堂に入り夕食をとった。社会主義体制の食堂だから、薄暗い陰気な雰囲気の所である。メニューも地元の言葉で書いてあるから不明だ。しかし、ヨーコさんがかろうじて読み取った、「パリジャン」と謂う言葉を頼りに、店の人に内容を尋ねると、英語で「フィッシュ」というので魚であればよかろうという事でそれを頼んだら、手長エビのむき身が大皿に山盛りで出て来た。イタリアンの「スカンピ」だ!このエビは二人とも初めてであったが、味わいが上等なカニに似ていて、美味であった。帰国後間もなくして東ヨーロッパの体制は崩壊し、ユーゴスラヴィアは内戦が生じ、そのニュースをよく耳にする様になった。この本を読んでいると、愛妻と出掛けた折の、色々なことが思い出されて、其の内に本来の物語の面白さも加わり、思わずして読了した。この本はアメリカで発表されるや否やベストセラーになったという。

  • 今日も予約があり、自転車で飛駒に出掛ける。一段と涼しくなってきた。帰宅後TVで渋谷の交差点の賑わいをライブで観る。ハロウィーンだ。かつて、愛妻と秋のニューイングランドをドライブしたことがあった。その折、民家の出窓にはどの家も、大きな黄色いカボチャを飾ってあった風景を思い出した次第。

  • 今朝は、ローストビーフを焼き始めた頃より、電話予約が次々と入り、ローストビーフは忽ちのうちに売り切れ、寒いから室内を希望する人が多く、室内も満席状態となる。従って老輩は始終暖炉の傍に待機して、焼き物に専念しなければならない。今日は、幸いにも、学校に通う近所のお嬢さんに手伝ってもらうから、注文や配膳はスムースに推移する。帰宅後、映画を観にアシコタウンに出掛ける。この映画は昨年の今頃、織姫神社を散歩の折、撮影隊が、一所懸命に下に見える両毛線と渡良瀬川の風景を撮っているので、何の映画であろうかと尋ねると「湯を沸かすほどのほどの熱い愛」と言う、なんだかわからない題名を教えてもらったが、途ても記憶にとどめるには程遠いタイトルだと思って、物事をスルーしようと思ったら、その関係者が「宮沢りえさんが出演の映画です!」というので、iphoneに記録して置いたものだ。其の時、翌年の秋には上映されると記憶に留めておいたのだ。作品の出来は非常に良い。足利の風景が至る所にちりばめられ、しかも、市内の中心に位置する、銭湯が舞台であるからなおさらである。画像構成も上等。というのも、先日観た「金メダル男」は作り手の気持ちは解るが、画像の質というか、画像構成が物語を展開するうえで妙に軽いところが、物足りなかった。この、宮沢りえさんの映画はそういう意味でも安心して鑑賞でる。余命3カ月という物語の設定を知って、思わず、愛妻、ヨーコさんの晩年の様子を物語に重ねてしまった。ヨーコさんも「カフェブロッサム」の為に全力投球して、息を引き取る2週間前まで、店で忙しく体を動かしていたのだ。だから、身につまされる内容。だから、このところ、老輩はヨーコさんから大変重たいものを託された気がしてならなかった。そういう意味でもオダギリジョーが演じる相手役の立場にシンパシーを感じる。我が老妻が逝って、間もなく2年が経過する。光陰矢の如し!老輩もなんで、こんな巡り合わせになってしまってのか!と、その事に思いが至ると、我が身の不運を嘆き悲しむ・・・・。終いには、老妻に早くお迎えに来て頂戴と、位牌に向かい手をあわせるのだ。しかし、すこし時間を置くと、自転車の面白さが気になって、もう一度、先ほどの、お迎えの件はもう一度検討するから、ヨーコさん取り合えずキャンセルしてくださいとお願いする次第也。兎も角も、今日は映画に、我が気持ちを浸す事が出来て、有益な一時を得た。