お天気は曇りがちとなった。「リラク」の取材有。ローストビーフを焼くところを写真に撮って貰う。11時を回りまもなくして、次々と来店有。
孫達は草刈、草取りに励むなり。他、特に記す事無。

「紅葉する老年」と云う言葉が好き。老年期、戸惑うことばかり。孫の名前がとっさに出てこない!愛用するお店の名前も失念!探し物で、部屋に入ったら、目的を失念!と、悩ましいこの頃なのであります。一方、巷では、「人生100歳時代」と言うフレーズを耳にします。「そんな事は学校では教わりませんでした」などと、愚痴めいたことを言っても仕方がない・・・・。
後26年でそこに到達してしまう!店で立ち働いていると、「よく頑張ってますねぇ!」と、人様に褒められる事もある。こういう時は、気分爽快、元気が出るのであります。これはそんな老輩の日々を綴るものです。
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2013年5月24日(金)晴、乾
お天気は上々となる。昨日に続き、野外作業の草取り。明日は孫も草刈に来るという。午後、3時、外気温29度。しかし、木陰のベンチに
横臥して読書をしていると、非常に涼しい。半袖では寒いくらいである。4時半28度。カルフォルニアの夏のような陽気となる。 -
2013年5月23日(木)晴、乾
朝、ラジオで、成田航空が開港35年を迎えたと云う話があった。その時、僕は35歳であった。中国、韓国貿易をやっていた。
だから、国際線に乗るために、浜松町あたりから、モノレールに乗り羽田から毎月出掛けていました。成田の開港初日であったか
、物々しい警戒の間を通って、エアラインカウンターにたどり着いたときは、ホッとした思い出がある。何しろ検問所が3~4箇所も受けてあり
50人くらいのおまわりさん達が疑わしい目で見ているから、何も悪いことをしているわけではないが、胸がドキドキしたものだ。
同じような気持ちは、香港経由で、深川を通り広州まで入る時も、国境で両側に20人ほどの人民解放軍の兵士達が両側に捧げ筒の姿勢で
整列している間を、手荷物とトランクを持って、とぼとぼと先の検問所まで歩いてゆく時の気分も同様であった。
時には、滞在が10日位になり、何の娯楽もない時代であるから、ハードカバーの本を5~6冊入れてあるから重かった。その当時
中国はまだ、華国鋒書記長の時代で、毛沢東の影響も色濃く残っていた。あの頃は、今日の中国の姿は想像できませんでした。
ホテルで一緒にくつろぐ、中国を詳しく知る諸先輩も「この国はいつかきっと途中で分裂するから、発展は困難である」との見解が
大勢を占めていた。と、当時の事を思い出した。
昼、粗食飯。TVでは三浦雄一郎老生が「エベレスト登頂」との報有。毎日、トレーニングの為に25キロの負荷を得て生活していた様だ。
素晴らしい!僕も物理的な質量を有する負荷ではないが、人生の重荷を背負って坂道を登るがごとくの日々を過ごしている。
ところで、愛妻はこの40日余の間に、両腕の筋肉が発達して腕が太くなったと言う。毎日、買い物の為に、僕を車椅子に乗せて
押していた為だと言うなり。今日は、高枝きりノコギリを買ってきて、虫のついた枝をばんばん切落としている。筋肉が付いたお陰で
ノコギリを自由自在に扱えるのが楽しいと弁ずるので有る。恐るべき!
午後、ヒコマに出掛け、草取りをする。
夜、株価暴落をしる。長期金利の上昇を嫌うタメナリ。 -
2013年5月22日(水)晴、暖
午前中は録画せし映画を観る。昼、粗食飯。午後、厚生病院整形科訪。先生は経過は順調であるとおっしゃる。先生と一緒に記念写真
を撮る。自動車運転はオートマはよろしいだろうが、マニアル車は、あと一ヶ月ほどは無理であるとのこと。
思い起こせば、4月14日より四拾余日、艱難辛苦の日々であった。愛妻は「連休中の苦労は筆舌に尽くしがたし」と弁ずる。
思わず、落涙・・・・。帰宅後午睡。夕、外出。渡良瀬川橋上落日を望。あと一歩で、日常生活にもどれるとは慶事なり。
夜、ピノキオにてピザ飯。帰宅後、自分で歩いて風呂に入れた。喜ぶべし! -
2013年5月21日(火)晴
お天気は良くなった。午前中より二人でヒコマに出掛ける。漸く、ギブスを地面に付けて立てるようになったが、草刈は不可能。
思案の末、東京に行った孫に土日帰郷してもらい、草刈を頼むことに決めた。孫は単身生活でホームシックの由なり。
その為、仕事がしやすいように、植木周りの草取りをする。野鳥のさえずりはけたたましい。寒くなくかといって、暑くなく
誠に好い時候だ。昼、粗食飯。午後、作業続行、夕に至り、にわか雨あり。帰宅。友来。暫く、お茶を飲みながら話をする。
お腹が空いてきた。友をさそい三人で「う」食。
夜、トルネードの被害頻りに報ずるなり。恐るるべし・・・・・。 -
2013年5月20日(月)曇後雨、涼
午前中は休息。「西部戦線異状なし」を読んでいる。第一次世界大戦の戦場の描写が沢山出てくるが、ときに、食べ物にまつわる
描写もある。たとえば「小屋の真ん中には、とび色の蒸し焼き肉が光っている。懐中用ののナイフを取り出し、両方の腿を一本ずつ切り取った。それに軍用パンをソースに浸して食った。」これは、二人の兵士が真夜中に、掘っ立て小屋で分捕った家鴨をつぶして、「一人が焼けてゆく
肉に脂を塗ると、そのあいだもう一人は寝ることにした。」というふうな場面もある。昔、中国貿易で香港に出掛けると、店先に焼いた
家鴨のぶつ切りが陳列してあり、注文すると、皿にその骨付きのぶつ切り肉と香味野菜を盛り付けて、少し甘めの薄いあっさりした
たれをかけた料理を食べたことを思い出した。家鴨は肉そのものは鶏肉と比べて美味しいとは思わないが、脂のついたその腿は
非常に美味しい。この骨折が改善され自由に出歩けるようになったら、どこか、適当な店を探して食べてみよと思うのです。
自分では、何故、今頃になって、こんな、戦場小説を読もうと思ったのかはよくわからないが、レマルクの描写のみずみずしさは魅力だ。
思うに、今の自分の奮闘振りを、ある種の戦場にいる如くに見立てたところに、この小説が目に入ったので、読み始めたゆえんであろう。
余輩ももう6ヶ月を過ぎると70歳だ。心境的には「何処まで続くぬかるみぞ」であるが、すでに、後戻りは出来ないところまできて
しまったのであるから、前へ進める他に、路はないのである。しかたなし・・・・。 -
2013年5月19日(日)晴後曇後雨
お天気は心配していたが、穏やかな陽射しを得て、各方面より来店有。テラス、樹林の中で憩う人々有。余輩も厨房にて気持ちは
大活躍したつもりであったが、実情は不明なり。夕、雨が降り始める。他、特に記す事無。 -
2013年5月18日(土)晴、涼
昨日に引き続き、爽やかなお天気となる。雉、頻りに啼く。このところ、草刈は出来ていないから、前庭にハルジオンが一面に咲き誇っている。それを見て、ふと、東欧旅行の際、遭遇した風景を思い出した。どこであったか、街を外れたところまで、車を走らせると、畑とも、
野原とも言いがたい様な所に一面にカモミールが咲いていた風情ある光景だ。三々五々人来。オリーブオイルも売れる。あり難きかな! -
2013年5月17日(金)晴、涼
朝より爽やかなお天気となる。昼前にヒコマ到着。運動の為に、草取りをする。幅が5センチ程で先のとがった板金を地面に差し込んで
グイッと持ち上げると、たいがいの雑草は根から持ち上げられ、つまみやすくなる。膝にダンボールの板を敷いて、いざりながら
草取りをするから時間がかかる。しかし、余輩の目の前には時間は沢山ある。昼、冷やし中華飯。午後、作業続行。カラスが変な声で
啼いている。野鳥のさえずりがとどく。雉の鳴き声がきこえる。長閑である。夕、庭のベンチに横臥し残照を浴びながら読書。
日が長い季節になった。晩餐を「強記飯荘」にて飯す。帰路、渡良瀬川橋上でみる落日は、ことのほかみごとである。
我が人生もかくありたし・・・。 -
2013年5月16日(木)曇後雨
午前中より準備の為、二人でヒコマに出掛ける。しばし、草取りをする。昼を過ぎ、まもなくにわか雨有。ソファに横臥して
「西部戦線異状なし」を読み始める。夕、帰宅。夜、友達が迎えに来て、久しぶりに、釜飯屋さんにて賑やかに晩餐をなす。
お互いに病院通いがあるので、来週も忙しく、急遽、今日になった由。今夜は、雨降りで涼しいから、熱燗を戴く。焼き鳥が美味しい。
しばし、互いの病院通いを話題にして酒も食もすすむなり。この店は、先日、隣の廃業になった映画館をTVドラマで使うので、タケシさんも
休憩所を兼ねて使用したという話だ。注文したホタテの釜飯も来た。完食。再び来るまで送ってもらう。有り難きかな・・・・。