モーガンで飛駒に出掛け、草刈。昼に至り寒暖計は33度を示。帰路、俵すしを買い帰宅。午睡後、
再び、飛駒にて草刈。他、特に記す事無。

「紅葉する老年」と云う言葉が好き。老年期、戸惑うことばかり。孫の名前がとっさに出てこない!愛用するお店の名前も失念!探し物で、部屋に入ったら、目的を失念!と、悩ましいこの頃なのであります。一方、巷では、「人生100歳時代」と言うフレーズを耳にします。「そんな事は学校では教わりませんでした」などと、愚痴めいたことを言っても仕方がない・・・・。
後26年でそこに到達してしまう!店で立ち働いていると、「よく頑張ってますねぇ!」と、人様に褒められる事もある。こういう時は、気分爽快、元気が出るのであります。これはそんな老輩の日々を綴るものです。
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2011年7月3日(日)晴時々曇
早朝よりローストビーフを焼く。昼近く、来店続く。仔羊のグリルも出る。先日、久しぶりに食べログをみたら、
仔羊のグリルが焼けすぎて、苦味が出ていたとの指摘があり、反省し、薪の燃やし方などを、工夫し、
仕上がりはレベルアップした。やはり、それには、集中力が肝要である。汗をかく。しかし、「美味しい!」と云う
お褒めの言葉を聞くと、暑さは気にならない、不思議である! -
2011年7月2日(土)晴、時々曇る
予報では、少雨とあったが、降らず。人、三々五々來。庭、鳥語かしまし。一段落後、緑陰、涼風を得て、
読書。早めに切り上げる、夕、中川に飯。 -
2011年7月1日(金)晴、夕立有
今日も草刈に精を出す。予約も入り始める。汗をかき、バスタブにつかり、リフレッシュ。
粗食後、午睡。にわか雨有。いよいよ本格節電の季節に突入してしまった。
兎も角も、今夜のところは、涼しく寝られる。天に感謝多! -
2011年6月30日(木)晴、暑
朝、電車に乗り、麻布十番で下車。永坂を登り、、途中を植木坂に入る。中ほどに、坂の案内在り、
この付近、江戸時代植木屋多く在る由の名称ナリ。閑静な手入れの行きとどいた
民家櫛比し、緩やかに下るとT字路に遇う。左折したところで、左に御影の石碑あり。
島崎藤村旧宅跡なり。崖の脇に通じる細道に佇むと、ロシア大使館ビルディングの裏手が見える。
麻布の谷は昭和の雰囲気を色濃く残すところだ。谷底にステンドガラスをはめた、丸窓をもつ
瀟洒で古風な洋館有。
赤坂に出て、知り合いと待ち合わせ、「ナガラ」にて蕎麦飯。別れてより、檜町公園付近にある
志賀直哉住居跡の碑を探す。写真はその折、教会の枇杷の樹を撮った。
国立新美術館の「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」を覗いて、帰路の電車に乗る。歩すこと、
一万五千余、多汗。 -
2011年6月29日(水)晴午後雷
上天気となり、探検帽に半ズボンをはき、モーガンで飛駒に出掛ける。久しぶりのドライブだ♪
到着後早速草刈。昼に至り、老妻來。汗をかき、一風呂浴びて、パエリャを飯。緑陰に涼風を得暫し午睡。
帰宅後、図書館にて調べ物をする。夕、雷鳴、駿雨を伴う。画像は、雨後の西空。 -
2011年6月28日(火)晴、暑
朝より織姫健康診断。昼、ピザ飯。夕、織姫車坂歩。他、特に記す事無。
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2011年6月27日(月)曇
午前中、飛駒草刈。午後、太田イオンにて「スーパー・エイト」を観る。映画の時代は
始まって間も無く、テレビでスリーマイルズの
炉心溶融事故
を取り上げている場面が
あったから、1979年頃の話だ。描写されるアメリカの街がよかった。郊外に大型店が展開されて
郊外型文化が進行中で、まだ、旧市内の商店が辛うじて存在している、危うい、時代の風物が
巧みに取り上げられていた。映画で活躍する少年達も個性的で、最近日本のTV番組で
よく見かける、「ビビる大木」に似た少年が印象的であった。夕餉酢豚飯。 -
2011年6月26日(日)曇
雲、下がり来たり、終日陰。鳥語樹林に飛び交うこと、頗る盛ん。三々五々来者有、天に感謝多。
学徒出陣せし、海軍老兵來。我老妻と海軍の話に盛り上がる。桑葉の構造主義的画像。 -
2011年6月25日(土)曇、雨
昼を過ぎて駿雨有。世界遺産選定で小笠原諸島がメディアで取りざたされている。懐かしい地名だ。
今より四十年前、家族と出掛けた思い出がある。船で東京湾を出ると、まもなく、昼食に
鰻弁当が出た。食物を口にしたのはそれが、最初で最後だ。船が外洋に出ると船酔いが始まる。
船底の大広間に横になる。限りなく船底と密着して、あたかも、船底の一部と化せば、船酔いを
まぬかれると思い、母島の港に着くまで、25時間そもままへばりついていた。
航海中、いつも、レイモン・ルフェーブル・オーケストラの「シバの女王」が聞こえていた。
今、念のため、iPad2で「シバの女王」を検索して、音楽を確かめている。そう、この曲が
繰り返し、繰り返し流れてくるのだ・・・・。
かなり苦行を強いられる、小笠原訪であるが、懲りずに2~3回出掛けていったのだ。
返還間もない頃で、都営アパートに泊めてもらい、毎夜、浜辺で、島の人達と星空を見ながら
丸ごと茹でた伊勢海老をよく馳走になった。
若く、無鉄砲な時代であった。