複雑で多様化する現代。店内は、アンティークな家具、庭には癒し度の高い空間(パワースポット)が広がっているお店です。冬は暖炉に癒されます

カフェブロッサム繫昌記

最近、ヒルズ付近の書店に立ち寄り、本を探していたら、サンフランシスコのフォトグラファーに「写真をとらせてもらえないか?」と
尋ねられた。手に持っているのは、M型ライカではないか!!「ノープロブレム!」と答えて、撮って貰いました。

ヨーコさんに見せたら、「これで、カッチャンの葬式写真が出来たと!」喜んだのでありました。

「紅葉する老年」と云う言葉が好き。老年期、戸惑うことばかり。孫の名前がとっさに出てこない!愛用するお店の名前も失念!探し物で、部屋に入ったら、目的を失念!と、悩ましいこの頃なのであります。一方、巷では、「人生100歳時代」と言うフレーズを耳にします。「そんな事は学校では教わりませんでした」などと、愚痴めいたことを言っても仕方がない・・・・。

後26年でそこに到達してしまう!店で立ち働いていると、「よく頑張ってますねぇ!」と、人様に褒められる事もある。こういう時は、気分爽快、元気が出るのであります。これはそんな老輩の日々を綴るものです。

  • 今週の月曜日は好天に誘われ、午前中、杖を持ち、付近の織姫山まで散歩をした。陽だまりを歩くことは大変楽しい。1時間ほどの散歩であったが、これは、いささか、冒険のきらいがあったことを、夕方になり知った。夕飯前より、胃腸に不快を感じ、夕飯も食べずに寝込んでしまった。その夜は、胃が苦しく一睡もせず、翌朝、主治医に駆け込んで、診断をあおぐと、胃腸関係の風邪であろうという事で、点滴をしてもらい、終日安静を保つ。
    6週間の入院中、僕は「高齢者」のカテゴリーに入り、思いのほかの、体力減退が生じたことをしみじみと思うのです。
    ところで、先週の朝、ラジオの読書案内で、「ミレニアム」という小説が紹介された。著者はスウェーデン人、現在、ヨーロッパでブレークしていると言う。僕は、書籍紹介の中でその「スウェーデン作家」と言うところに耳をそばだて、四十年前に愛読した「マルティンベック・シリーズ」の警察小説を思い出した。シリーズは10冊の推理小説仕立ての刑事物で、当時のスウェーデン社会を描くという内容のもので、僕としては、地球の反対側にある、超先進的な福祉国家でのライフスタイルや、その社会の病巣も浮かび上がってくるところが、娯楽読み物以上に手ごたえのある小説であったとの記憶がある。
    つまり、その当時、日本で暮らす、僕等が向うべき方向の最先端に到達している社会をうかがい知る物語として読んでいたのだと思う。
    紹介された「ミレニアム」であるが、早速、書店にて買い求め、読んでみた。
    物語は1966年にスエーデン中部のある地方都市で発生した一人の少女失踪事件を解明する為に二人の人物を登場させ、東洋ではなじみの薄い、近代スエーデン社会の発祥おも俯瞰しながら、今日の時制で物語りは展開する。僕が興味深かつたのは、戦前のスウェーデン社会の一部にはナチズムにも共鳴する人々もいたと云う事だ。
    余談でありますがーーー偶然にも1966年、僕は無銭旅行で、この物語の舞台付近に立ち寄った経緯がある。日本は「東京オリンピック」の翌年で、ラーメン一杯は35円であた。ところが、当地に来て、オープンサンドを一片買い求めたところ、100円もして、とめどないカルチャーショックを受け、世界の深遠なる事を体感した記憶がある。
    もう一つのショックは、スエーデンの街を散策して、ふと公園に立ち寄り、暫くして、再び街に出てみると、先ほどまで人で溢れていた街より人が消えていたのである。時刻は夕方の5時頃でであったと思う。その頃の日本では沢山の雑多な商店は夜遅くまで営業していて、何処にでも人の気配があるのが当たり前の時代であった。旅行した季節は夏であったから、夜中になっても明るい白夜の季節。立派な道路に驚くほど少ない交通量、とめどない寂寥感を得た思い出があるーーーー。
    ところで、この「ミレニアム」はこんな予備知識や思い出がなくても、最初のページから、物語にぐいと引き込まれ、十分楽しめる小説だと思う。兎も角も、読み応えのあるフィクションであった。
    話は変わりますが、皆さんは「ロッキード事件」と云う物をご存知ですか。昔アメリカの航空機会社が日本での営業活動の一環として、日本政府高官に積極的な営業活動を展開した結果、つまりは、買収事件が生じその事が大々的に報道されたのでありました。その頃は、その報道も半信半疑なところもありましたが、つい最近、日本の某建設会社の裏金資金がニュースで取り上げられ、その資金は、主として後進諸国での某社の受注活動を円滑にする為の営業経費であると報道されてた。
    「ロッキード事件」は日本のメディアで連日報道されていたが、この建設会社の資金に関してはその後の追跡報道は聞かない。このことは、例えば浸透膜の内と外の事象のごとく世の中がはっきりと見えてくるような気がして興味がわき非常に勉強になりました。
    さて、高齢者の仲間入りをして感じることは、旅行に喩えるならば、若い頃は、その訪ねたところが気に入れば気軽に再訪できるのであるが、現在は、そんな余裕はなくなったような、奇妙な切迫感が生じていることで、言い換えるなら、その日、その時を悔いの無いように、潔く過ごそうという気分になったことだ。
    今年も残り少なくなってきたが、日々の安寧を願うばかりである・・・・。

  • 6週間に及ぶ「ベット上安静」の期間が過ぎて、体のすべての筋肉が衰えてしまったが、無罪放免と云う様な風に退院して、自宅で日常に戻る訓練をしている。
    留守中、ヨーコさんの手足となって、ブロッサムを盛り立ててくれた、皆さん、ご心配していただいた皆さん、また、病院で親切にして頂いた皆様には心より感謝申し上げる次第です。

    初秋の晴天に恵まれた日に入院、退院した時は、季節はすっかり冬になっていた。
    病院の食事は、さっぱりした味付けのもので、僕の口にも合い、気になっていたコレステロールの件も解決、退院時、体重は、500グラム減っていた。

    療養中の伴侶として、持ち込んだ本は、安岡章太郎著「僕の昭和史」と1929年の大恐慌を描いた「アメリカの死んだ日」ー1979年、TBSブリタニカ・常盤新平訳ーであった。後者は、僕がまだ若い頃(つまり、大昔という事です)に一度読んだ物が書棚の隅に積んであったので持ち込んだもの。僕の青年時代には「大恐慌」、「関東大震災」、「引揚者」も日常会話の中にあった。
    厚い本だが、読み始めているうちに、期せずして、病院のテレビでニューヨークのウォール街に端を発する、世界同時株安が報じられ、100年に一度の経済的事例と云う様な報道もなされている。本を読んでいる僕は、タイムカプセルに乗って、29年に舞い戻ったような、奇妙な臨場感を味わった。

    しかし、何といっても、一番興味があったのは、大統領選挙である。
    アメリカの大統領選挙といえば、まさに、我等、本家の当主交代を見守るごとくの関心が集まるものだ。しかも、新しい選択をした。極東に住む我等にとっては、宗主国であるし、我が方の臨時政権も安定感が今ひとつ欠ける。
    目先の目標を失った集団のごとく振舞う極東の住民には、若い、元気な大統領が山積する難題を次々と解決する姿を見せてもらいたい。そうゆう、見本がないと、我が方の連中はさっぱり、要領を得ない(もともと、こうゆう事に得意でないのかもしれない)。期待する所、大である。
    師走になってしまいましたが、来週あたりより、店の方になんとなく顔が出せるように心がけて行くつもりです。その節は、どうぞ、宜しく!

  • 季節、日和の申し分なき時節に、独り病床に臥し、窓外の風景を虚しく眺める。痛みは概ね改善し、食欲もある。脊髄損傷なれど、麻痺に至らず、故に、6週間の安静と診断下る。
    つまりは、24時間、ひたすら病床に臥すのみである。やんぬるかな!

  • 何事も自分に都合のよいようには進まない。肋骨、脊髄損傷為火曜日より入院して安静を保っている。治療方針は今週中に決めると云われた。伊澤蘭軒を読み始める。

  • 此の頃、秋の気配、漂い過ごし易し。
    金曜日の4時頃、松の梢より落下する。家内はキッチンで仕込み中であったが、「どすん!と云う音がしたので、外へ出てみると、切り落とした松の樹とかっちゃんが、地面にころがっていた」と、極めて写実的に救急車の中で隊員に言っている。高さは7~8メートル程であった。
    非常に痛かった。先ほど風呂に入って身体を観察すると腕、腰にあざや擦り傷が目立つ。落下中に木の枝や幹にぶつかりながら落ちていったように思われる。不覚であった。反省すること多。

  • メタボ検診後、ル・シネマにて「我が教え子、ヒットラー」を観る。背景描写程よく整い楽しめる映画であった。この時代の、持つ限りない無常観は僕に居心地がよい。次なる予告編も老人向けで面白そう。骨董通りに出、「ウイング・クラブ」に立ち寄り、スケルトンモデルに見入ること暫し。六本木方面に足を向け、ヒルズの展望台に登る。夕闇せまるデッキは風も心地よく、個性増す眺望も夕日の空に映え、充実した一日となった。

  • ジャズライブも満席、無事終了。前日より頻りに険悪な気象予報を耳にしていたが、雨は避けることが出来、料理、音楽に大満足の様子をキッチンより眺め、感無量となり家内と手を取り合って、涙した。これは嘘です。しかし、楽しんでいる様子を拝見して、安心したのです。お客様、ミュージッシャンの皆さん、そして、天に感謝多!

  • 鴎外を読み「団子坂」を知らぬを悔いて、出掛ける事にする。まず浅草寺を詣で、御神籤を引くと「凶」、残念!厄払いに、ひさご通り「米久」に入り、牛鍋と酒を頼む。月初めより粗食生活が続いた為か、驚くほど食進み、飯2膳食らう。ほろ酔い加減で国際通りを北上、竜泉寺に至り「一葉記念館」を拝す。酔いの醒めた所で、さらに、西に向かい言問い通りを辿り寛永寺周辺の緑とレトロな家並みを味わいつつ、谷中より団子坂上に至る。「観潮楼」在りし日はこの坂より、浜離宮木立の上を走る、品川沖の白帆が見えたと言う。「鴎外記念館」は館内整理の為暫く休みだ!「凶」とはこの事であったか!気を取り直し、白山通りを下り後楽園より帰路に向かう。

  • 土曜日は足利花火の為か早めに終了し、マイケル君達、店の若人を誘い、久しぶりに足利の花火見物。暫くは我が自宅で紅茶と軽食で雑談に盛り上がり、やがて「ズドン、ズドン」花火の音が聞こえてくる。漸く皆,、腰を上げて、渡良瀬河に徒歩で向かう。途中、マイケル君が学ぶ「日本語学校」に顔をだすと、屋上で生徒が花火を見学していると言う。誘われるままに上がってみると、ビール、料理ののるテーブルを囲み3~40人の生徒が花火を見学している。屋上は遮る物無く、よく見えるのであるが、辞して河畔に向かう。河辺には出店など賑やかに並び、メリサ君盛んにその様子をカメラおさめていた。周辺を見渡すと、芝の上、堤上と言わず、あたり一面人で埋め尽くされている。誠に壮観。しかも若者が多い。日常の足利は、人の気配のまばらな街で(しかも見かけるのはシュニアばかり)これほどの若者が生息していることに気付き感慨を深くする。久しぶりに、傍で見る花火は、迫力満点、盛夏の宵を楽しむひと時となった。

  • 毎朝草刈に勤しむ。緑陰、畑より来る風に吹かれ「昭和文壇史」を読みながらの午睡、将に値千金。書斎を整理していたら45年前に愛用していた「スリービー」のパイプが出て来た。当時菊水で大枚3000円を投じて購った物である。懐かしいことこのうえない。天に感謝多!明日はパリ祭也。