複雑で多様化する現代。店内は、アンティークな家具、庭には癒し度の高い空間(パワースポット)が広がっているお店です。冬は暖炉に癒されます

カフェブロッサム繫昌記

最近、ヒルズ付近の書店に立ち寄り、本を探していたら、サンフランシスコのフォトグラファーに「写真をとらせてもらえないか?」と
尋ねられた。手に持っているのは、M型ライカではないか!!「ノープロブレム!」と答えて、撮って貰いました。

ヨーコさんに見せたら、「これで、カッチャンの葬式写真が出来たと!」喜んだのでありました。

「紅葉する老年」と云う言葉が好き。老年期、戸惑うことばかり。孫の名前がとっさに出てこない!愛用するお店の名前も失念!探し物で、部屋に入ったら、目的を失念!と、悩ましいこの頃なのであります。一方、巷では、「人生100歳時代」と言うフレーズを耳にします。「そんな事は学校では教わりませんでした」などと、愚痴めいたことを言っても仕方がない・・・・。

後26年でそこに到達してしまう!店で立ち働いていると、「よく頑張ってますねぇ!」と、人様に褒められる事もある。こういう時は、気分爽快、元気が出るのであります。これはそんな老輩の日々を綴るものです。

  • 風無く暖。午前中、歯科訪。入れ歯の当たり具合を調整してもらう。帰宅後、東京に住んでいる孫来。1月には成人式だ!付いては背広の相談という事で、東京に出掛けた折、買うことにする。すき焼きを拵え共に飯。午後、長椅子で日差しを浴びながら、読書、午睡。夕、渡良瀬川の堤まで出掛けて、散歩をする。赤城、妙義が見える。

  • 飛駒、11時の外気温は16度。風無く暖。先日からの課題、即ち、薪割をする。昼に至るも人不来。陽だまりにて、粗食飯。周囲を見渡せば木々は秋の盛りの風情をなし、荏苒として今日にいたれりとする感慨が湧いてくる。気持ちを切り替えて薪割を続行する。

  • 朝より暖。ニュースでは10月中旬の陽気になるという。だから、下着を半袖に変え、薄手のセーター、薄手で裏地の無い革のジャケットに身を整えて自転車で出かける。秋の初めに戻ったようで、名草まで快調に飛ばす。難儀なのはこの先に立ちはだかる須花坂だ。矢張り、普段より軽装で来たのが正解。登り始めて間もなく汗が出てくる。今日は「歯を食いしばって自転車をこぐ!」と言いたいところだが、生憎、入れ歯だからそんな無茶な事は出来ない・・・・。と、悩んでいるうちにどうにかトンネルに辿り着けた。此処からは、一気呵成に坂を下りルート66を北へ向かうばかりだ。昼、人来。暖炉に火を入れ、ステーキにてもてなす。邸内秋色深まる。紅葉する老年・・・呵々・・・。

  • 飛駒、11時の外気温は14度。薄曇り。暫く薪割をする。昼に至り、85歳の婦人たちを伴う家族来。暖炉に火を入れ、おもてなしをする。2時半の外気温は15度。夜、鍋飯。

  • 風無く暖。終日、秋日和となり人、三々五々来。午後、手すきの折、薪割をする。他、特に記す事無。

  • 朝霧あり。朝より晴。昼、三々五々人来。その後、しばらく薪割をする。多幸山も紅葉を始める。他、特に記す事無。

  • 昼よりイオン太田にて「オケ老人」を観る。足利市が舞台となり音楽上達に奮闘する映画で、風景とともに楽しむ。帰宅後炬燵で読書、午睡。

  • 朝より曇。午前中、歯科訪。北海道では雪と報有。自治医大病院玄関に自動車が激突したと報有。驚くべし!兜町は値を戻す。午後、炬燵にて読書、休息。

  • 朝、自転車で飛駒に向かってみると、北西のアゲンストの風が吹く。ギアを一段ないしは2段低くして走るから、時間を要する。かろうじて午前中到着。暖炉に火を入れ、少し体を温め、昼のラジオのニュースでは大統領選はトランプ候補が若干優勢との報に接する。室内も程よく温まり、外で薪割をする。午後に至り大統領選が気になるので、アベマニュースを観ると、矢張りトランプ候補が優勢でペンシルベニア州、ノースカロライナ州も制したと報ずる。帰路は追い風で楽だ!帰宅後、夕飯を食べながら、当選したトランプ候補の勝利演説を聴く。驚くべき展開!どういう世界が出現するのか興味深々也。

  • 店に到着後、薪割をして、今週の準備をする。昼に至り、来客現れず!最近、韓国大統領のスキャンダラスな事件の展開が報道される。その事が誘因で、今の大統領のお父さんが政権にあった時代に、仕事でしばしばソウルに出掛けていた事を思い出した。その当時は、戒厳令などという剣呑な制度があって、夜の12時以降は外出が出来ないのだ。仕事が済んで、カラオケバーの韓日友好で歌も話も盛り上がっていると、門限を過ぎてしまうこともあり、酔い醒ましに、ソウルの街を歩いていて、時々捕まって、油を絞られた事もある。あれは、同じ頃であろうか・・・。中国に出掛けて、日本に帰ってくるたびに、田中元首相のロッキード事件の解明が進み、フィクサーや小佐野さん、丸紅の社長という風に色々な人が国会で聴取されている。前後の経緯が不明だが、其の頃立花隆さんが文芸春秋で「田中角栄~その金脈と人脈」を発表、社会的に大いに取り上げられた。老輩がソウルによく通っていた頃は、慰安婦問題など取り上げられる事もなく、しかし、8月15日の日本の敗戦記念にソウルに入ると、そこでは植民地時代の日本から解放された祝日として盛り上がっているので、自分の中で違和感を感じつつも、「世の中とはこういうものだ!」とモノを見る目が広がった思いがあった。一度だけヨーコさんを案内して、二人で観光気分でソウルの街を歩いたことがある。普段は先方の商社の人に案内されているので、地図が無案内でもその人が必要な場所に案内する。しかし、ヨーコさんと歩いた時はプライベートだから、街を歩いていても、知らない通りにでると、どちらに向かえばよりか判らなくなり、しばしば、立ち止まり、手元の地図を観たり、周辺をよく観察したりしていると、私たちより大分年かさの、そう、父親と同年齢の紳士が、流ちょうな日本語で「なにか、お困りですか!どちらにいらっしゃりたいのですか!」と慇懃に話しかけてくる。それも、街路だけではなく、レストランや、食堂に入り、言葉が通じないで困っていると、すかさず、やはり、その場にいる紳士が慇懃に「どんなモノを召し上がりたいのですか、私でよけれがお役にたちましょうか?」と声を掛けてくる。ことほど左様に、今で言えば東京五輪の「おもてなし」状態でそれが印象深かった。あの時代の日本周辺の国々で起きたニュースをウイキペディアで調べているうちに、3時を過ぎてしまい帰宅の途に就く。久しぶりに古き良き時代を思い出した次第。ところで、解放と云えば日本の憲法はアメリカが押し付けたモノには違いないが、その陰には名もなき日本人兵士が命を差し出して、平和国家日本を造ったという思いがしてならない。少なくても、老輩はその恩恵に浴している。円高の恩恵も受けた。それは、戦争という集団行為が戦後生産行為にうまく転換され、我々は今日の豊かさを得ることが出たのだと思う。その転換点となった8月15日はある意味で日本人が解放された日であると思うようになった。それは、イタリアの戦中、戦後史を見てそう思ったのだ・・・。アメリカから憲法を給され、我々は解放された!私は、その事に感謝している。