先週の17日火曜日、ピョンヤンからの報道は衝撃的なものであった。国際政治の冷酷さが、のほほんとした田舎で過ごす私の脇を、渦を巻いて一瞬にして通りすぎていった感がある。どうして毎年9月になると衝撃的な事が起きるのだろう。1994年夏、私もピョンヤンにいた。拉致に遭遇した韓国人映画監督の体験的私記を1993年に読み、その内容があまりにもマンガチィックと云うか、摩訶不思議な事の連続でありその真相を自分自身で解明すべく、訪朝を決意した。早速、手当たり次第に旅行社に問い合わせた結果、その様な(アナーキーな)旅行はいずこも取り扱っていなかった。当時、北朝鮮を除き、他の総ての国は、キューバを含め旅行可能な時代であった。調査の途中、私には北朝鮮が世界に唯一現存する、とてつもなくドリームワールドなものに思えてきたのである。結局、朝鮮総連に行きついた。問い合わせの結果、「現在は旅行はできないが、旅行受付を開始する時もある」とのことであったので、連絡先等を伝えしばらく忘れていたのであるが、1年後、金日成が没しその弔問団的な形式で渡航可能となり北京経由でピョンヤンに飛んだ。8月下旬の頃であったと思う。共産国の旅行は何度か体験しているが、このピョンヤン訪問は私の中でも完全に消化しきれていない部分なのである。すなおな想い出の一つとして、市内の有名な料亭の冷麺のうまかったのは忘れられずに残る(他に印象的な食べ物はなかった)。同時にその時、投宿したホテルには日本語を話す在日の訪朝者が溢れ、その人達の往来は常にとどこうり無く行われているとのことであった。又、市内の中心にあるビルの一群は日本に輸出する繊維加工工場であることを知った。旅行後まもなくして、関連の軽い内容の書籍が何冊が出版された。いずれも同様な旅程を経た体験記であった。私の短い滞在中の印象では、「拉致された監督が綴る事は本当にありえる事だ」と云う思いを強めた興味深い旅行であった。さて来月予定の演奏会出演バンドもほぼ決定。準備をこれから始めるところである。皆様お楽しみに。
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