ジュリア女「ピーカンナッツ入りケーキ」を作らんとして、ついては、その上にかけるソースにバーボンウヰスキーが必要となるという。
急いで地下の酒蔵におり、周囲の棚、見渡せぞ、あいにくと、バーボンなく、棚の片隅にスコッチの古びた箱を見るのみであった。
かれこれ、30年前、其の頃、中国、韓国との商売で香港、ソウルに足繁く通い、国内で高価であったウヰスキーを毎度のごとく運んでいた、為替は日々に円高傾向になり、輸入すればするほど確実に儲かり、不労所得的な収入の多い、したがって、金銭感覚がやや麻痺していた時代であった。その片割れの一本である。
21年ものビンテージとある。今に通算、約50年!古酒である。兎も角も、急ぎ厨房に持ち寄り、ジュリア女にこれしかないがどう?と渡す。薄く黴のようなものが覆いし封を切り、栓を抜くと、コルクはぼろぼろ、果たして中身は如何にと、グラスに注ぎ、ジュリア女それを飲む。「ウゥーム!」「ナイスフレーバね!」美味なスコッチであった。
50年の時を、無事に乗り切り健在であった。
芳醇な香りを有し、ケーキも稀なる逸品となる。
合衆国、元大統領レーガン氏死去を知る。彼、ベトナム戦争後の自信をなくせし米国に「国、強くあれと!」鼓舞した人物である、彼の時代、私は、輸入住宅を手掛け始めて、資材調達のためサンフランシスコによく出かけた。
為替は 230円台というドル高の時代であったが、建材は、日本のものと比較してもそのクオリティーが高いが故に、輸入する価値ありとして、輸入に踏み切った思い出がある。
今日は一人、僕の古きよき時代の思い出に心ゆくまで浸れた。
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