複雑で多様化する現代。店内は、アンティークな家具、庭には癒し度の高い空間(パワースポット)が広がっているお店です。冬は暖炉に癒されます

2017年1月11日(水)晴、寒

朝より、自転車で飛駒に向かう。峠に差し掛かると、左脚の膝裏の痛みが現れ、仕方がないので、自転車を降りて、歩くことになった。トンネルを貫けると、トンネルの入り口左側に、白い車がボンネットを開けて止まっている。尋ねると、バッテリーが上がってエンジンが止まってしまった様だ!この付近は、電話も圏外になって、どうすることも出来ない。最寄りのスタンドまでは5キロぐらいはある。老輩は、もし、待っているのであれば、これから圏内に下っていくから、自動車修理屋さんに連絡して牽引に来てもらいましょうかと相談しているうちに、真新しいトラックに乗った若い人が、声を掛けてくれたので、その人に事後の事は任せて、坂を下り店に向かう。今日は来客無。こういう時は、早く家に戻りたくなる。まだ、日の高いうちに自転車にまたがり帰宅。この頃、報道で改元の動向が伝わってくる。陛下にはご苦労様と言いたい。晩餐で独酌をしながら、平成元年の頃を思い浮かべる。1989年1月7日が昭和の最後であったと言う。老輩はあの頃、北米の東海岸と足利をしょっちゅう往復していて、仕事人生において、猛烈な勢いで前進していた頃だ。何しろ、周りの人達がやった事が無い、事業内容に着手、詳細はアメリカの現場で勉強する必要があったので、事があるごとに東海岸に出掛けていた。夢中でしたね。なにしろ、そう云う事を把握しているのは日本人の中で自分一人だと云うような自負もあったから、面白かった。あまり最先端の事柄なので、身近に相談する友人も、先輩もいない。頼りになるのは自分の見聞と感性だけでありました。そんなところに、今度は愛妻の乳癌事件が発生したのです。結婚記念日のフレンチレストランでの晩餐の最中、ヨーコさんが「勝っちゃん!私、乳癌!。初期じゃないのよ!」老輩はこの分野は門外漢!驚いて、オロオロするばかり。今であれば「ヨーコさん!軽く言ってくれたぜ!」と言えるかも知れないが、その時は、慰める言葉もないのでありました。そして、昭和天皇のお葬式の日にヨーコさんの乳癌摘出手術行われたのだ。確かこの、1989年春には中国にも行っていた。帰国してまもなく天安門事件をテレビで知り驚いた次第。しかも、その秋にはベルリンの壁崩壊もあった。この崩壊のニュースを老輩は滞米中に出会う。ニューヨークの郊外にある古いホテルでの晩餐が済み、部屋に戻り、テレビのスイッチをいれたら崩壊の報道が流れて、あたかも、歴史的一瞬に立ち会った如くな心地がしたのを今思い出した次第。


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