複雑で多様化する現代。店内は、アンティークな家具、庭には癒し度の高い空間(パワースポット)が広がっているお店です。冬は暖炉に癒されます

2016年11月30日(水)晴後曇

午前中、歯科訪。入歯の調整完了!。モノが少し噛めるようになった。その足で飛駒に向かう。例の須花坂を越える時、焦らずゆっくり自転車のペダルを踏み、着実に登り坂をこなして、飛駒の谷に入る。今日は足が痛くならないので一安心。やはり、急に筋肉を使ったのが堪えたのかもしれない。ヨーコさんが居れば、「勝っちゃん!あまり無理をしちゃぁいけませんよ!」と物事が酷くなる前に注意されて、止めることになるが、今はそうは行かない・・・。兎に角、無事に店に到着。店番をして人が来ないので帰宅。炬燵に入り、先日、図書館を訪ねた際、松本清張の本が並んでいたので、借りて来た、その本を読み始める。ヨーコさんと二人で最初に会ったころ、お互いに、松本清張の本を読んでいるという事で、話が盛り上がった時があった。あの頃は「ゼロの焦点」「点と線」に出てくる播但線という言葉や、高木彬光の「成吉思汗の秘密」なども話題になり、その時の事が無性に懐かしい。当時はベストセラー社会派作家松本清張絶頂期で、今よりも、社会の本質を抉り出すことにジャーナリズムも熱心であった時代だ。この本は、清張晩年の作でタイトルは「神々の乱心」。昭和8年頃の宮中、政界に潜む新興宗教にまつわる推理モノで、舞台に佐野や足利の描写が出てくる。例えば「佐野町は栃木県の西南端で、渡良瀬川に沿っている。熊谷市から直行すると利根川を渡り、館林町を過ぎ、渡良瀬川の橋が終れば佐野町に近づく。それまでは一面の平野で、二つの川敷を除くとほとんどが桑畑であった。
北にあたる正面は空を塞ぐ連峰で、裏は日光につづく。左手は足尾山地、赤城山となる。足尾銅山の崖下を洗う渡良瀬川は採銅鉱の土泥に濁って峡間を奔り、六里にして赤城山が目の前の水沼で左折する。桐生、足利の各市と佐野町が間隔をおいて川の北岸にならぶ。桐生より北は群馬県。」さらに「佐野荘は鎌倉時代から地方豪族の佐野氏がその付近の地域とともに領していた。近世に家康によって廃せられたが、古河藩の堀田家の分家が佐野に置かれ、正敦(まさあつ)のときおよそ一万六千石となった。ここには陣屋がおかれた。
吉屋は埼玉県にくる三年前まで、栃木県足利署の捜査課主任として二年間勤務した。その二年のあいだ栃木県内はよく知ってもいるし、歩いてもいる。この佐野に来るのも、途中の通過を入れると何度目だかわからなかった。」
今、老輩が住んでいる付近の昭和8年頃の描写が面白いではないか!思うに、この文体は森鴎外先生の「渋江抽斎」の如くな名文だと思う次第。権力の頂点には宗教にまつわる話がつきものである。ロシアのラスプーチン、レーガン政権時代の星占い、日本会議のバックにあるモノ、今、問題になっている韓国の朴政権の周辺。興味をそそられる事頻り也。


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