今朝、古いドアのガラスのはめてある枠を補修する。昨日、英国シェフィールド製のみで木製の部品を拵えた。久しぶりのウッドワーキングであった。木工をやるのに、凝り性の私は、イギリスののみを買いにロンドンまで出掛けた事があった。道具を抱え帰国して家に戻り、ヨーコさんに見せると、何にも云わず「よ~くやるょ・・・・」と謂うような、侮蔑的な眼つきをされたことを今思い出した。スイスで鉋を買って来た時も同じようであった。しかし、木工というものは創作的でかつまた実用的な趣味であるから、今日も普及するばかりである。実際に、鋸と、鉋とのみを用いて、板で四角な箱を作った。出来具合は、脇に置いといて、その創作的なエネルギーが、道具の切れ味、数年かけての文献的な研究、たゆまぬ努力(主に道具を集める事)により、その成果が、具体的に結実した、目前の箱から発するオーラに目がくらみ、私は「その気になれば何でもできる」という、錯覚に陥ってしまう。以後、燃え尽き症候群のような心境になって、箱を一個作っただけであったが(今考えると、ヨーコさんの心境も理解できる)その趣味から離れてしまった。ひと山あった道具は、しまい忘れていた。随分前の話である。かれこれ20年も前の事だ・・・・。
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